国立大学法人 東京海洋大学 海洋工学部
重要文化財 明治丸
1.サロン(Saloon)
 上甲板後部のハウスから階段を降りると、サロンに通じる。左右両側は船室で、その壁面は金泥の額縁付き縦型鎧張りである。更にその上部欄間には、同じく金泥塗りの見事な彫刻がある。壁面に立っている柱の頭部には若草模様が描かれている。その柱頭のいくつかは照明灯になっていて、サロンと船室の両方を照明出来るように半円筒形のガラス蓋がついている。往時は蝋燭を入れたもので、その場燭立ての下にはスプリングがあり、燃焼と共に自然に光源が一定の高さに保たれるようになっていたものである。
 船尾側にある優雅な半円形のソファや、重厚なマホガニーのテーブル、美麗な飾りと時計を取り付けた鏡と、大理石のカップボード(Cupboard)など、いづれをとってもロイヤルヨット(Royalyacht)に相応しい豪華な面影を偲ばせている。そして特徴ある長椅子を見て頂きたい。使用する時は背もたれを外側に倒せばテーブルに向かって坐ることが出来るし、使用しない時は背もたれをテーブル側に倒せばその後は広い通路として使うことが出来るようになっている。
2. 明治天皇御座所
 サロンの右舷前部に、明治天皇が御使用になった御座所がある。狭く質素ながらも、公室、ベッドルーム、バスルームと三室続きとなっている。公室の壁面は板絵で飾られているが、戦後進駐軍に接収された時に塗られたペンキを丹念に落として復元されたものであり、所どころ剥げて古色蒼然としているのが、かえって明治丸の苦難の歴史を偲ばせている。この日本調の板絵はイギリスで描かれたものか、日本に回航してから描かれたものか定かでない。また描いた人は誰なのか、見る人をしてしばし明治の昔に想いをめぐらせるものがある。

 東北・北海道の御巡幸を終えられた天皇は、明治9年(1876)7月18日函館を出港し帰京の途につかれたが、途中の航海は向い風で船が揺れ、食器がテーブルから落ちるほどで、必ずしも快適な航海ではなかったようである。岩倉具視、木戸孝允、徳大寺実則等群臣161名も乗船しており、大部分の人々は船酔いで寝込んでしまったとのことであった。しかし天皇は御元気であられ、側近が強いて横臥をお勧めしたと記録にある。
3. 主甲板
 御座所の前は階段室となっていて、ここから見上げる階段も見事である。階段室の壁面は玉杢文様である。これは一旦仕上げた塗装の上に、細筆で等高線状の木目と小円を描きその上にワニスを塗って押えるという独特の仕上げで、熟練と高度の技術を必要とし、この特殊技法が絶えていたので1か月程の研修の後施工されたものである。

 階段室より前の方に進むと、広い甲板に出る。中央には機関室囲壁と缶室囲壁があり、この壁面の塗装も特別のもので、金属製の柾(まさ)目(め)櫛(ぐし)で仕上げてあり、柾目塗りといわれるものである。
 主甲板の舷側及び前方は広い木甲板となっているが、もとはここにも小さく区切られた客室があったもので、天井の梁(はり)を見るとその名残りとして、各室収容定員認定の刻印が見られる。
当時はそのような証明を書面に書かないで、直接各部屋の梁に刻印したものでそれが残っている貴重な例である。

 主甲板の左舷側に2か所、カーゴ・ポート(Cargo port荷物の取り入れ口)がある。これには上下に分かれて外側に開く扉があることに注目したい。下半分の扉には内側にロープがついていて開ける時は外に押し出し、閉める時はそのロープを引っ張って閉める。上半分の扉には外側にロープがついていてカーゴ・ポートの上の穴から中に引き込まれている。開ける時はこのロープを曳いて開けるのであるが、この方式は帆船時代の軍艦に於いて大砲の砲身を舷外に突き出すための口(ガン・ポートGunport)の扉と同じである。ネルソン提督が戦死したビクトリー号(H.M.S.Victory)にも見られる型である。主甲板カーゴ・ポート 主甲板の最前部は、右舷側が火夫室、左舷側が水夫室で、造時には3段ベッドが備えてあった。この部屋から素早く上甲板に出ることが出来るように、狭くて急な階段がある。
4. 上甲板
 主甲板中央の缶重囲壁の前側にも上甲板に通じる階段があり、これを上がると上甲板中央のデッキハウスに出る。このデッキハウスの船首側は海図室で、船尾側には船長室や賄室がある。海図室の上には操舵室があって、舵輪や磁気コンパスが備えられている。
 上甲板の船首部にはバウスプリット(Bow Sprit 斜檣)が突き出ており、振り向いて上を見れば3本のマストが空に聳えている。前からフォア・マスト(Fore mast 前檣)、メイン・マスト(Main mast主檣)、ミズン・マスト(Mizzen mast 後檣)であり、各マストには夫れ夫れ5本のヤード(Yard横帆桁)が簪(かんざし)のようにならび、それに掛けられた帆に風をはらませた昔日の勇姿を彷彿させる。船首部にある錨鎖、揚錨機(Windlass)、アンカー・デビット(Anchor davit)、中央部舷側にあるボートタビット、甲板上のキャプスタン、各種の天窓、そして船尾の操舵機等昔の姿を止めているのも懐かしい。後部のデッキハウスは主甲板に通じる階段室だが、このハウスの上は帆走時のブリッジである。ここに立って帆に入る風を見ながら号令を掛けた船長の姿が偲ばれる。舷門や中央デッキハウス後面の標章も、古い写真から復元されたものである。
 
5. 外舷
 船上を見終わったら、是非外舷を一周して頂きたい。船尾に近いサロンの舷窓が四角であるのも面白いし、これに着いている波除蓋はカーゴ・ポートと同じように、外側に取り付けたロープで引っ張って開ける型で、これらが舷側に一列に並んだ様子を舷梯から見ると、思わずカメラを構えたくなるであろう。
 船首部と船尾部の飾りは、外板に残った僅かの腐蝕差と留鋲穴から辿って推定した、文様と文字が復元されたものである。
 船尾にはアカンサス(Acanthus)の横帯文様があり、漢字で「明治丸」と船名が配されている。船首には、拳(こぶし)鼻状(ばなじょう)の渦巻文様を持つ頭部とそれに続く膨らみで鳥の形を表し、その後方に長く伸びる縁取りの中に、アカンサス状の文様を嵌め込んで羽根を象徴している。ここにはローマ字で「MEIJI MARU」と船名の文字板が打ちつけられている。即ちこの鳥形が本船のフィギュア・ヘッド(Figure head)と言うことが出来る。
 
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